松本県ヶ丘高校 第32回卒業生同窓会


 縣陵32期会(サニー会)
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2010-5の記事

原点に戻る旅                        平林 有

30年前、県陵を卒業した僕は、迷わず東京へ出た。とにかく親から独立したかった。
具体的には分らなかったけど、新しい自分に生まれ替りたかった。
時はバブル前夜。大学の友人達は、ブランドの洋服をまとい、都会の夜を泳いでいた。
負けるものかと追いかけたけどやめた。何かが違うと感じていたから。

でも長野には帰りたくなかった。そのまま東京で就職した。モーレツな職場だった。
同期のライバル達と競い合って、死に物狂いで働いた。
毎日疲れきって、夜中に独身寮のベットに横たわり、何度も辞めようかと思った。
でも自分に負けたくはなかった。故郷を捨ててきたから。

恋をした。失恋をした。疲れきった僕にやさしく手を差し伸べてくれる女(ひと)がいた。
運命の女(ひと)との出会いだった。
家を買った。子供ができた。また一生懸命働いた。
自分の家族を幸せにしたかったから。

そして今、娘は自分の世界を見つけ、妻は空気のような存在になった。
会社ではそれなりの立場を得たけど、何かが足りないのだろうか?
自分の人生を初めて振り返った。故郷・・友・・両親・・自分は何の為に頑張ったのか?

そんな時、掛かってきた1本の電話。「平林元気か?今度同窓会やるんだけど」
30年ぶりに聞く、県陵時代の友の声。

その日から僕の「原点に戻る旅」が始まった。
・・・・・あの日出会った仲間たちへ 敬意と感謝をこめて・・・・・

*********************************
松本実行委員会の皆様、4月24日愛のリレー同窓会お疲れさまでした。
とっても感動しました。県陵生でよかったと思いました。ありがとうございました。

さて、6月12日東京同窓会まであと2週間。東京32期会一同 手作りだけど
想いをこめた会にするべく頑張ってきました。
多数の参加申し込みをいただき感謝しています。
当日お会いできるのを楽しみにしています。よろしくお願いいたします。

東京32期実行委員
平林 有(E組)

379分の1 からのエール            小木曽 佳代子


4月に母校体育館で在校生に向けて発信された愛のリレー行事は、在校生である若者たちへのエール。
ですがそれ以上に、私達32期生、自分たちへの、今までそしてこれからの人生への大きなエールだった気がしたのは 私だけではないことでしょう。

あの日私は、あの場所にいられたことを幸運だと思う感謝の想いと、
この2年余りの同窓会活動を通して再会した懐かしい友人たち、
在学中はお互い知らなかったのに今では身内のような存在となった仲間たち、
そして先輩や後輩たちとの新たな出会い、
さらには、事情があってここには来れなかった友や、何らかの理由があり走れなかった友だち、
ビデオに登場できなかった人たちもいることを考えていました。
もちろん、その人たちの分まで379キロにおよび、愛のたすきはつながれたわけです。

30年も経つと みな多くを抱えていますが、健康でこうして再会できるのは実はとても幸せなこと。
嬉しい日もあれば苦しかったり立ち止まることもあるけれど、
でもなんとかよどみなく日々が流れ、元気に過ごせていることへの感謝を感じます。


379本のたすきには、379人のSTORY.・・・・・
その中の一人のお話を少しだけしようと思います。

私とその友人との再会は、25年ぶり。
信州大学病院、正面玄関の前で椅子に座って待っていた彼は、真夏なのにニット帽を被っていました。
県陵生だった頃 若者だった彼は 貫禄が出てすっかりおじさんに。(お互い様?) 


それから数時間、私達は薄川の向こう岸のベンチに座り込み、別々に歩んできたお互いの25年間のことや様々なこと、いろんな話をしました。
夕焼けに空が紅く染まるまで。
そして 彼は 『じゃ、またな!』って右手をあげて車に乗り込みました。

次に彼と会ったのは、その一年後のやはり真夏の暑い午後。
病室の人となった彼は、想像以上に元気で、1年前と変わらぬ笑顔。
頭にはやはりニット帽。
一人で行くのが怖くて一緒に行ってと頼んで、そして同行してくれた親友の小池君と私に、
缶コーヒーをおごってくれた。
お見舞いに行ったのはこっちなのに、私達二人よりむしろ快活で、逆におごられてしまった。
3人で、1年前にしたのと ほぼ同じような話をし (高校時代の話とかを。・・・病気の話や暗い話はほとんどしなかったと思う) 
けらけら笑いながら楽しい数時間を過ごした。

私達が帰るとき、エレベーターまで見送ってくれ、
ドアが閉まる瞬間に、『じゃ、またな!』 って、また右手をあげた早崎くん。

それから3ヶ月が経った晩秋に、逝ってしまいました。
9月に45歳になって、それから1ヶ月と少しの日でした。
携帯電話を持たない主義の彼とは、最後にお見舞いに行ったあれきり連絡は取り合わず、私はその日、のんきに映画館にいて、OFFにしていた電源を入れたとたんに訃報を知りました。
そのとき脳裏をよぎったのは、エレベーターのドアが閉まる瞬間の笑顔と右手。

たったこれだけの話です。
私が知っているのは、高2の物理の教室で隣になって 無駄話ばかりしていた頃からの3年間と、発病してからの1年余りのことだけ。それさえ、遠くにいたから本当のことは何も知りません。
彼の周りにはいつも、心配してお見舞いに行ったり、話をしたり好きな本を差し入れしてくれた多くの友人や後輩がいたそうです。
その人たちに 見守られ、支えられ、そして最後はもしかしたら、その友人たちを彼の方が支えていて、そうやって旅立っていったのだろうと思います。

その死をきっかけに私は、
それまでは漠然としかわかっていなかった、私達の持ち時間には限りがあること をあらためて知り、
そして、今そのとき自分にできることを精一杯やっていこう、悔いのないように。と思ったのです。

彼は1冊の本をこの世に遺しました。
薄情な友人である私は普段はまったく彼のことを忘れていますが、
ときどきその本を手に取ると 遠い昔に置いてきた懐かしい記憶がふっとよぎるような気がします。






ツーショットはこの1枚だけでした。
三城牧場経由の美ヶ原ハイキング』

サニー会のブログに、亡くなった友人の事を書こうなんて少し前までは考えてもいませんでした。
亡くなった人との思い出は、それぞれが各々の胸に閉まっておけばいいと思っていました。
が、松本の愛のリレー行事に参加したとき、
ある友人二人の、こちらも文字通り30年ぶりの胸キュンの再会を みんなで見守っていたら・・・・
・・・ もう一度この世に、
今、私が宝物だと感じているこの素敵な仲間たちの前に、彼の名前を出してあげたい、と、

ふと・・・思ったのです。



★ さて、ここからが、本題です。★

こちら東京同窓会では、半月後に迫った総会、懇親会にむけて準備も最終段階、まさに佳境を迎えています。
ここまで 数多くの飲み会(実行委員会もやりました。)を重ねて、
徐々に仲良くなった私達、サニー会東京チームがお贈りする、文字通り、大同窓会です。

80歳くらいの大先輩から、新卒の19歳までが集える、『大人の県陵祭』 とも。


サニー会松本チームの皆様

この度は第43回松本県ヶ丘高等学校東京同窓会総会・懇親会へ
ご参加のお申し込み、ありがとうございました。

当日は、懐かしい青春時代に思いを馳せ、旧友との久しぶりの再会を、
そして新しい仲間との出会いを 思う存分楽しんでいただければと  
私達 サニー会東京チーム が誠意を込めて準備しております。

この会が、
貴方の過去と現在が交わる『原点』であり、未来への cross road の場となりますように。


また、同期,先輩,後輩など知人の皆様でまだお申し込みをいただいて
おられない方をご存知でしたら、ぜひ、お声がけをいただき、
ご一緒に ご出席を願えたら幸いです。

『30年後の県陵祭』 をどうぞお楽しみに!!
皆さまとの楽しいひと刻を、楽しみにしております。

県陵東京同窓会 32期実行委員会一同

43回東京同窓会 動員部会
D組 小木曽 佳代子

G組 同級会


5月14日(金)、東京での今年度2回目のG組同級会が行われました。
東京(近隣)在住の6名に加えて松本から2名が参加しとても楽しい時間を過ごしました。

6月12日(土)にはいよいよ東京同窓会が開催されます。
県陵祭のようにかなり盛り上がると思いますので皆様是非おいでください。
お会いできるのを楽しみにしています!





木村祥子

あれから1週間・・・

気づいたら、もう1週間が経っていました。
先週の今日、今頃は、祝賀会の最中でした。
 
31やまびこ会の先輩方と(勿論初めましての先輩も大勢)お話していて、改めて強く思ったことがあります。

それは、在校生の素直さと真面目さです。

 今時の高校生には、どうせ通じないかもしれないし、冷めた目で見られるだろうし、ビデオを
観ていてもらえるのは、せいぜい10分か15分、もっても30分が限度!
だからどうするか!?
 「自己満足でもいいじゃん!」
 「でも、やっぱりメッセージは伝えなきゃ。」
 「こんな馬鹿みたいなこと一生懸命やってたおかしな先輩もいたよなあ~でいいじゃん。」
 「とにかく全員参加で楽しい思い出は作ろうよ。」

平成も22年になっているけど、少なくとも縣陵生の在校生は、とっても素直に私たち大人を
受け入れてくれて、多分同じように空気を感じてくれた。
 山本監督のお言葉通り、そこに集う観る側と観られる側の双方の全ての感性で、創り上げら
れた空間だったに違いありません。
 そこが、生の『証』だったのでしょう。

 生徒会長の唐木さん副会長の笠井さんとは、前日に打ち合わせをしてあり、本番の段取りでご迷惑をかけてしまったにも関わらず、唐木さんは、謝辞の際「原稿を持ってたんですけど、映像までで感動しちゃって、アドリブを加えてしまいました。」と仰って下さいました。
「昨日、話してもらったよりなんだかすごくて、びっくりしました。このイベントに参加させてもらえて、本当に良かったです。ありがとうございました。」
とまで、仰って下さいました。
が、こちらこそ、本当にありがとうございましたです。

 まだまだ私たち大人は、現代の若者に、何十年経っても変わらぬ人間としての夢見る心を、
人々への愛を、情熱や思いやりを、正直に伝えてゆくべきなのだと教えられました。

 29日、サニー会の「証」の映像を観てから、ある実行委員の先輩が仰いました。
 「実は、これこそが、愛のリレーの原点なんだよ。」
   (えっ!?そうですか?)

「このビデオ、もう一度観たいから、絶対頂戴ね!」
「記念事業の全部のDVDができたら、もう一度鑑賞会やってね!」 (・・お酒のせいです)
「最も単純な企画なのに、最初からトータルで最も計算された企画だったね。」(え?!)
「自分たちの子どもにも見せたいね。」
「こんなに多くの仲間が、ただ走ってる、そのありのままの姿がいいんだよ。」
「なんだか走りたくなっちゃったね~。」

  たいへん有難くも、申し訳ない次第です。
それも、昨年の愛のリレーからのリレーの証です。
来年のその日へのカウントダウンは、もう始まっているのですものね・・・

  これまでの全ての方々との出会いと暖かさに感謝して、心から、お礼申し上げます。

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